2016-09-21

中古CDが大暴落(2) CD屋が生き残るには




以前、書いた記事「中古CDが大暴落」のつづき。中古に限らず、CD屋は苦しい。

■本屋は、まだ生きている。

 先日、東京駅近くの丸の内oazoの大型書店、丸善に行って感激した。品揃えや本の見やすさ、新しい本に出会う楽しさがあった。そして、ECに負けず「本屋が生きている」ことを実感し、嬉しかった。

CD屋に比べて、本屋は「まだ生きている」。ECではできない、実店舗ならではの体験を売っている。oazoの丸善は、広さと品揃えを生かして「本を探す楽しさ」で強さを発揮している。小さな町の本屋でも、体験を売って生き生きとしているところをよく見かける。本を読めるスペースを提供したり、テーマに沿ったキュレーションで出会いを作ったり、徹底的に地元の高齢者に密着したり。


■CD屋は、どんな体験を売っているか。

 音楽に目を移すと、少し悲観的になる。小さなレコード店でキュレーションを発揮しているところはある。しかし、大手はおれにとって絶望的だ。

 大手のCD屋は、どんな体験を提供しているか。店内のあちこちのスピーカーから宣伝が流れ、雑音が混ざり合う。インストアライブと称した演奏やカラオケが、粗悪な音響で唸る。疲れた顔のタレントが、CDを通貨としてスキンシップを売る。

こんなニヒルなことしか考えられない。音楽市場で何が消費されているかを如実に示しているようで、暗い気持ちになる。「音楽そのもの」に対価が支払われていない。


■ジャズ喫茶よ、再び。

 CD屋に併設されたカフェは既にあるが、音楽が主役じゃない。ジャズ喫茶のマスターか、ちゃんとしたDJを雇って、いい音で音楽を聴かせてほしい。「あ、この曲いいな」でCDやレコードが売れたらDJに売上の何割かが入る。いいシステムじゃないか?

2016-09-20

1年前のこと


 日記をつけている。数年分を1冊に書いているので、去年の今頃のことを読む。去年の今頃、安保法案が可決されたことが書いてあった。

あの日は、出張先から新幹線で東京に戻り、その足で新宿 末廣亭で永野さんが「くまさん応援大会」やるのを観た。新幹線に乗った時点でなぜか、既に可決されたと思い込んでいて「ああ、可決か」と諦めていたのを覚えている。

帰宅してテレビをつけると、参議院での福山哲郎さんの演説。気持ちがあおられて、諦めが憤りに変わった。あれから、世の中は確実に、ゆっくり変わっているのだろうが、はずかしながら生活感覚はほとんど変わっていない。

しかし、おれが最近、一休さんの文学にかぶれているのは室町時代中期から末期の空気を、感じているからかもしれない。

2016-09-04

石井隆さんのマンガ


 映画「GONIN」を観かえしたのをきっかけに、石井隆のマンガも読んだ。虚と実がそれぞれ100%以上混ざっているような。中学校の部室のような暑さ。空調のない部屋で読んだらのぼせちゃった。

2016-09-03

真崎守さんの時間感覚



 真崎守さんのマンガを古本屋で見つけた。すごく惹かれるのだが、自分にとってとても異質な部分もあり、すごくよく分かる部分と、まったくピンとこない部分が混在している。

狂雲集に似ている感触だ。特徴的なのが、時間の感覚だと思う。ふだんの生活の時間感覚でページを開くとついていけない。

気を落ち着けて、水面を揺らさないように作品に入っていくと、新しい体験ができる。体調の悪い時は好機だ。低気圧で体調の悪い時に、じっくり読んだのがよかった。水底は深く、おれはまだ把握しきれていないのだけれど。芸術作品を通じて追体験する「ハッパぽい」印象だ。

2016-09-02

狂雲集が難しい



 狂雲集を今、読んでいる。これが難しい。何冊か読み比べたが現代語訳がわかりやすいものがなかなか見つからない。平易なものを読み進めているのだが、「●●の曰く」が「●●のコメント」と訳されているのが可笑しい。海外の小説で通貨を円や銭と訳す可笑しさに似ている。

いっぽうで、吉川英治の三国志や新・水滸伝で登場人物が江戸っ子口調なのは楽しく読めてしまう不思議。