2015-10-26

中古CDが大暴落

■中古CDが大暴落


先週、twitterでグチってしまったが、中古CDの値段が暴落している。それに伴い、お店の経営も苦しくなって商品管理もいい加減になってきている。特に90年代、00年代の洋楽はひどい。


■中古CD屋さんが好き


おれは新譜でほしいものがあればネット通販で買うし、お店でブラブラ物色したい時は中古屋さんに行く。

お店で新品を買うのは滅多にない。新譜じゃなくても中古屋さんで見つからないものは、ネット通販で買う。

新品を中心に扱う店は、おれの好きな音楽をあまり置いていないし、おれの好きじゃない音楽が流れているので楽しくない。狭い店内のアチコチで新譜の宣伝が流れ、パチンコ屋のような非音楽的空間になっていることも多い。


■中古CDを買っても作り手に還元されない


おれが、CDを買うのは中古屋さんがほとんどだ。

ふと気づいた。おれがCDに支払っているお金のほとんどはアーティストに届かないのだ。ずっと探していた商品に、定価以上のお金を支払っても、作った人に還元されない。

こんなお金のまわり方は、不健全だ。音楽業界が続くわけない。


■好きな分だけ還元したい


聴かれた分だけアーティストにお金が行くストリーミングは音楽の救世主なんだろうか。
印税が安い、という問題点はあるようだけれど。

聴かれた分だけ、好かれた分だけ作り手に還元される、という一点は健全だ。
「うちのCDは繰り返し聴いてはもらえない」と知っている人はストリーミングに反対するだろう。

そういう意味では、新品アナログ盤がもっと市場を拡大するといい。
聴いて、聴いて、聴きまくって盤が痛んできたら、新品を買い替えれたら最高だ。


KDPダウンロード数から読者数を推定する

■あそびでやっている、新聞づくり


寝室でこっそり読む新聞、ポンコツ新聞の第4号を今月11日に発行した。
amazonのKindle Direct Publishing (KDP)という電子書籍の個人出版だ。

今週末は、その無料配布キャンペーンをやった。


■ダウンロード数が伸びた理由


24時間だけ実施したのだが、単位時間あたりのダウンロード数は過去最高だった。なんでだろう。

発行してからキャンペーンをするまでの期間(2週間)はいつもより遅いくらいだった。発行日でソートした人にたくさん、ひっかかったわけではなさそうだ。
ちなみに、発行して2週間くらいはamazonで新着マークがつくらしい。今回のキャンペーンではマークがつく、つかないでダウンロード数が左右されたとは思わないけど。

販売価格設定は、過去より少し高めだった。通常価格の降順でソートして無料で読めるものを探した人に、ひっかかった可能性はありそうだ。

 もし、内容や見た目が影響したとすれば、たぶん表紙が女の人のイラストだったからかもしれない。



■ダウンロード数から読者数を推定する


無名の新聞をお金を支払って読む人は少なくて当然だ。毎号、無料キャンペーンをやると、ようやく人の目に多少は触れる。

「人の目に触れた」といっても、おれがわかるのはダウンロード数だけだ。読んでいない人数も含まれる。読んでくれた人がどれくらいいるか、を推定する試みとして、今回のキャンペーンでは、ひとつ前の第3号も同時に無料配布キャンペーンをやってみた。

第3号は古いので確実に、最新号より目に触れるチャンスは少ない。たぶん、「いま、無料配布キャンペーンされているもの全部」という人にしか目に留まらないはず。

第3号は今年8月に無料配布キャンペーンをやった時の、ダウンロード数のデータがある。残念ながら今回みたいに24時間だけの実施ではなかったので、厳密には単純比較はできないんだけど、ま、推定には使えるだろう。

今回のキャンペーンで第3号をダウンロードしてくれた人数から、
8月のキャンペーンで第3号をダウンロードしてくれた人数をひくと、
今回第4号をダウンロードした後に第3号に手を伸ばしてくれた人数が推定できる。

それは、最新第4号のダウンロード数の約4.5%だった。
いい線いっていると思う。

おれの理論「おれと好みが似ていて読み取ってくれる人は5%、好きになってくれる人は1%」に合う。きっと、第4号をダウンロードした人のうち4.5%の人が、第3号も「無料なら」とダウンロードしてくれたはずだ。

とはいっても、無名の新聞でダウンロード数が小さいので、「好きになってくれる1%」にあてはまるのは、ほんの数人、ひと握り。

これを繰り返せば、あそびがもっと楽しくなるはずと信じてあそび続けるしかない。


■実は、まだ無料で読めるみたい


amazonプライム会員ならいつでも無料で読めると気づいた。
kindle持っていなくても、スマホやブラウザで読めるので是非。





2015-10-20

この世で一番、入場料の安い天国

 天国は、ベッドと銭湯にしかないと思っていた。クラブで多幸感に包まれることもあるが、悪い時は地獄だ。

ベッドと銭湯の次に多く、天国に連れてってくれるのは、名画座、特に新文芸坐だ。週末に黒澤明と深作欣二を4本観た。スクリーンで、しかも35mmフィルムで。

まわりに爺さんが多いが、天国なのでしょうがない。

映画を観に行く時は、電車で行く。本を開いたり、音楽を聴いたり、しないようにしている。濃厚な時間を過ごす前は、退屈なほうがよい。

名画座の入場料は、安い。お金で買える快楽のなかで、一番安い。なぜ、安いのだ。すきなものが安いと、すこし悲しい。


2015-10-19

後悔しない射精、またはジャケ買い

■絶対にレコード店はなくならない


 データで音楽を聴くようになって久しい。それでも、レコード店をうろつく楽しみはなくならない。

これはどんな曲かな、と思いながら、頭の中で鳴っている音楽を聴くのが楽しいからだ。

こどもの頃は何も買わずに帰って、想像したとおりに作詞作曲して、後日答え合わせをすることもあった。

どんなにストリーミングやダウンロードが普及してもレコードはなくならない。これまで少し市場に過剰に拡大してただけだ。どんなに電子書籍が普及しても紙の本がなくならないのと同じ。おれも電子書籍で遊んでいるので、こんなことを言うのもおかしいけど。

■アドバイス


 おれは衝動買いをしたことがない。レコードを除いては。衝動買いは射精に似ている。女性にもわかってもらえると思うけど、後悔することもあるってことだ。

もし、おれが過去の自分にアドバイスできるとしたら「相手を選べ。個性のないやつは選ぶな」だけだ。個性がない相手は、当然ながら、つまらない。必ず後悔する。個性がある相手なら、楽しめるかどうかは自分の度量次第だ。


■想像の爆発、ジャケ買い


 個性のある相手が自分の琴線をはじいたら、アプローチせねば死んでいるも同然だ。

個性の強い相手を探すなら、レコードならジャズの棚をあさるのがいい。

自分のなかで爆発した想像はいったん置いて、期待はせずに針を落とす。

■蛇足


ジャズやブルーズの、丁寧にリイシューされた編集盤で、ジャケットが魅力的に見えたら、ハズレが少ない。
こんな、カッコイイのが見つかるんだよ。







2015-10-18

世界最高のゲーム

■世界最高のゲーム


時と場所によらず、人数によらず遊べる。
それは三題噺。

ご存知かと思いますが、
無作為に選ばれた三つのお題を使って噺(はなし)を作る。
それだけ。


■貴方が忘れている記憶


古典落語の「芝浜」「鰍沢」といった名作を作り出した手法だとか、
星新一や村上春樹が創作に応用しているとか。

そんな高貴な一面もあるが、だれにだって遊べるゲームなのだ。
貴方は忘れているかもしれないが、
貴方は字の読めない こどもの頃、絵本の絵を使って噺を作っていたんだ。

こどもも、おとなも、だれでも遊べる。

こんなに差別をしない優しいゲームは他にないだろう。
貴方も是非遊んでみませんか?


■もし、貴方が遊ぶなら、おれと遊ぼう


おれは、独りでいる時間をどれだけ楽しめるか、という挑戦で、
三題噺で遊んだのを電子書籍にまとめた。
おれが、これまた遊びで出してるポンコツ新聞というタイトルだ。
スマホかkindleを持っている人は、amazonからダウンロードして読める。

お題の後に、おれの作った噺がマンガで並んでいるから、
貴方の噺と比べて、何が違うか、くらべてみよう。

貴方もまとめて電子書籍にしてくれたらオモシロイ。




2015-10-11

思考停止、いいじゃん

■どの職場でも聞かれるセリフ


「同じ仕事を、そのまま続けるのは思考停止だ」
「思考停止せず、考えぬくことが重要だ」

オジサンが説教で言うこともあるし、新入りが気持ちよさそうに言うこともある。
おれは、この言葉たちにずっと違和感を抱いてきた。


■考えることは、エラいのか


気持ち悪いのは「考える」至上主義のニオイだ。
長いこと考えたからってエラいのか。いや、ちがう。
考えることは、成功するための一手段であって、目的ではない。

考えすぎるバカは始末が悪い。

おれも「考えている」「悩んでいる」自分に満足してしまうことがある。
ちっとも物事が進展していないことを指摘されると、
考えている時間が長いぶん、腹がたって反発したくなる。


■思考停止、いいじゃん


人間は、思考停止により進化してきた。
行動する際に、いちいち考えていては効率が悪い。
思考停止して行動できるのは、効率的だ。

思考停止をやめたら、朝起きてからずっと、
タイムスリップしてきた原始人のようにビクビクしなきゃいけない。
0歳児にもどってしまうと言ってもよい。

「なぜわたしは布を身にまとっているのだ」
「なんだ、四方を囲む平面は。なぜ倒れないのだ」
「道路を行き交う鉄の塊は、どうして動くのか」
「鉄の塊に乗って、どこかへ行く目的はなんだ」
「なぜ、足は地面にくっついているのだ」


■例のセリフの修正案


冒頭のセリフの言いたいことはわからないでもない。
でも、表現が間違っている。

「考える」ことが褒められるのは、結果が出た時だけだ。
だから、考えること自体ではなく、
よいところに着目したり、前提を熟知したり、というほうが大事だ。

重力を発見できたのは、手当たり次第考えていたわけではなく、
地面に対するモノの動き、という点に注目して
思考停止せず、前提や思いこみを疑ったからだ。


冒頭のセリフが言いたいのは「守破離」なんだと思う。
すでにある前提にまず乗ってみて、思考停止して行動できるくらいになる。
結果にうまくいかないところや変えたいところがあったら前提を疑ってみましょう、
ってだけのことなんじゃないか。

2015-10-07

バカ田大学祭

「バカ田大学祭ライブ 電気グルーヴ&スチャダラパー篇」に行ってきた。




「赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学祭ライブ 電気グルーヴ&スチャダラパー篇」
@9月14日 渋谷CLUB QUATTRO

■隣接するが、異なる領域でスペシャルになるということ

初めて電気グルーヴを観て、石野卓球さんというテクノDJが、カラオケではしゃぐのを観た衝撃は想像以上だった。だって、ケミカル・ブラザーズがカラオケではしゃいでたらビビるでしょ?

お客さんも、石野卓球さんがDJやる時と層もリアクションが全然ちがう。電気グルーヴのライブはCDとかDVDとかで知っていたんだから、衝撃だったのは、お客さんのリアクションの方かもしれない。

お客さんは完全にJ-Popカラオケとして楽しんでた。こんなに異質なものをJ-Popとして楽しむんだ!と驚いた。J-Popの楽しみ方って奥深く、幅広いんだね。

ステージをまっすぐ見つめて、ステージを指さす動作を繰り返したり、パラパラみたいな振付をしたり、手を振ったり、手拍子したり、一緒に歌ったり。

テクノDJと電気グルーヴ、似てはいるけれどまったく異質の楽しみ方をされるふたつの音楽で、まったく異質なお客さんに支持されてるんだな、と気づいた。


■二足のワラジ

 おれの好きなひとの、好きな時期っていうのは、二足のワラジがキーワードなんだと気づいた。

石野卓球さんは、テクノDJとJ-Pop。
ビートたけしさんは、映画監督とTVタレント。
伊集院光さんは、ラジオDJとTVタレント。
イッセー尾形さんは、ひとり芝居と映画やドラマの俳優。

ロバート・ランドルフやジョン・スペンサーも、二足目のワラジが何かは知らないけど、ミュージシャンとしてすごいアルバムを作るかたわら、別の仕事もしていたはず。
R.L.バーンサイドはタクシー、ジュニア・キンブロアはライブハウスみたいなところの営業だったはず。

隣接はするが異なる領域でスペシャルになる人のすごさよ。

 実は、イベント終わってからは、落ち込んでいた。おれはチンケなプライドが邪魔しているのか、J-Popやカラオケが苦手で、フロアの真ん中で居心地の悪さを噛み潰してた。すごく好きな先輩が、おれと仲の良くないグループと、おれのわからない冗談で大ハシャギしているのを見た感じ。

それが、二足のワラジの二足ともスペシャルになる凄さの表れなんだ、と消化するのに一ヶ月も時間がかかっちゃった。

2015-10-06

締切のチカラ

■あそびが停滞していた。


今年の5月ごろ始めた「三題噺を電子書籍にまとめる」というあそびが停滞していた。生業にしている仕事のほうは余裕があったのだが、なかなか時間を割かなかった。

7、8月はオンデマンド印刷で本を作っていたのも一因。家族の誕生日のプレゼントとして、40ページくらいの冊子を作っていた。

だけど、その冊子づくりが終わっても、なかなか重い腰があがらない。仕事関連の本を読んだり、衣類の整理したり、twitterしたり、そんな「やったほうがよいけれど、やらなくてもよいこと」にかまけていた。あそびにくらべたら、優先度が低いはずなのに。


■あそびは高度になると、短絡的な報酬が得られなくなる。


それに比べ、短絡的な報酬が得られる誘惑は多い。ほとんどは無為なことだ。

「やったほうがよいけれど、やらなくてもよいこと」の多くは、一定周期の刺激とランダムな報酬が繰り返され、のめりこみやすい。


■あそびに締切を設けたら、転がり始めた。


抗う手段は「習慣化」ではなく「締切」が有効だった。

はじめは「毎日、三題噺をやる」という習慣をつけようとしたのだが、うまくいかなかった。三題噺のネタ作りはやるのだが、一番面倒な作業がいっこうに進まなかった。習慣づけようとした行動があいまいだったのも原因かもしれない。

数日前、作業スケジュールをひいて締切を設けたら、トントン拍子で進みだした。あそびにおいても目標設定が有効だと気づく。

これから、あらゆるあそびにスケジュールと締切を設けようかな。


  •  スケートボード
  •  曲づくりと録音
  •  新しい飲食店開拓
  •  英語リハビリ
  •  映画監督のフィルモグラフィーを追うこと

あと、女性と仲良くなるのもスケジュールと締切ひいたら笑えるかもしれない。

2015-10-05

へんなおじさんとボラット


■アイマスクを買った。


目にあたる部分がふくらんでいる、立体的なかたちをしているアイデア商品だ。これをつけると快適なのだが、ブラジャーを被ってるみたいでクスリと笑ってしまった。実際に被ったことはないのに。
こういう体験のない変態行為を笑えるのは、志村けんのおかげだ。「志村けんのやる変態行為」=「笑ってよい」という認識の順番だ。


■こどものころは「志村けんがおかしなことをしている」と笑っていた。


「女王様とお呼び!」とか「へんなおじさん」とか「わけがわからない行動をする人」として笑っていた。
おとなになるとわかる。切実に「女王様とお呼び!」が好きな人もいるわけだ。「へんなおじさん」も、おとなになると気持ち「だけは」わからんでもない。

もちろん「おかしなもの」に共感させる表現力のすごさもある。表現力についてつけたすと、志村けんの「ひとみ婆さん」は、ほんとに老婆に見える。こう感じさせる表現力のある人は、俳優にもなかなかいない。


■よのなかのおかしさを的確に表現できる志村けんはかっこいい、と大人になるとわかった。


要するに、こどもの頃は、わけもわからず志村けんを笑っていた。おとなになると、自分も含め「へんなおじさん」がよのなかに溢れていると気づく。
笑いの対象は志村けん個人ではなく、よのなか全体だった、ということ。映画「ボラット」にも同じことを感じた。
「へんなおじさん」ではなく、「何だチミは!」と注意していた隣人のほうが法を犯してしまった。これも同じことの暗喩のようにすら感じる。

(志村けんは、歴史上の人物と同じく普通名詞として敬称略で表記しました。)


2015-10-04

Apple Musicと、サジェスト/リコメンドの限界

■Apple Musicの試用期間がそろそろ終わる


継続しようか、悩み始めた人は多いんじゃないか。
おれは醍醐味を享受していないので、継続しない、という気分。自分のライブラリに溜めたロスレス音源が圧縮音源にダウングレードしてしまう点がいやなので、最大限の利用はしていないのだ。

もちろんappleの「スマホで聴く程度なら多少ビットレート低くてもわかんないでしょ」という思想にはうなずいてしまうが、気持ちの問題で、好きなものはたとえわからなくても、できる限り良い状態で味わい。
でも、Apple Musicを使わない場合のiPhoneミュージックの使い勝手は不安なので、心変わりしてApple Music継続するかも。


■1か月ほど前に、母のiPhoneにApple Musicを設定した


歳をとって、あまり積極的に聴かなくなったが、母は音楽が好きなほうだ。10-20年くらい前は、おれのケミカル・ブラザーズやプライマル・スクリームのCDを借りて居間で聴いていたり、若いころはバイトでDJの真似事もしていたらしい。

最近はCDやレコードを引っ張りだすのが面倒だろうと、帰省した時に「ラジオ代わりに使ってはどう?」と提案した。


■「サジェスト/リコメンド機能」は的外れ


 Apple Musicは、最初の設定で、好きな音楽ジャンルを選択させる。それから、そのジャンルのなかで特徴的なアーティストの好き嫌いを選択させる。これで大まかな好みを把握する。

母は「ロックや、ジャズとかR&Bが好きだわ。歌謡曲やポップスなんかはいまいち」とジャンルを選択したのだが、その後に出てくるアーティストは「誰これ、全然知らない人ばっか!」だった。その後にかかった曲も、聴いたことがないだけでなくチンプンカンプンで、良さが理解できなかったらしい。

母の言う好みとは真逆に、歌謡曲とポップスを選択すると、ようやく母の知っている名前が出てきたのだが、母は苦い顔をしていた。


■「わたしが好きだ」と認識しているものと、実際にわたしが好きなものは違う


母は「自分はジャズとかR&Bが好き」と認識していたが、実際はよく聴くわけではない。意地悪な言い方をすると、「お洒落な音楽を聴く自分」というセルフ・イメージと実際の行動が一致していない。

これはよくあることで、おれは自分で「ブルーズが好き」と認識しているが、アルバムを通して聴くと「全部、おんなじ曲じゃん」と退屈に思ったり、マジック・サムとマジック・スリムとメンフィス・スリムの区別がつかなかったりする。

「この喫茶店は美味しいし居心地がよくて好きだ」と思っていたのに、アルバイトが入れ替わると足が遠のき、実は「美人店員が好き」なだけだったと気づく。

「趣味は人間観察です」という女性は多いが、実際に観察している人は少なくて、「わたしは周りに溶け込めないのではなくて、一歩ひいたところから観察しているんだ」というメッセージを自分や他人に言い聞かせようとしている人が多い。


■「サジェスト/リコメンド機能」の難しさ


 「わたしが好きだ」と認識しているものと、実際にわたしが好きなものは違う、という前提にたつと、ユーザが自称する「好きなもの」はあてにならない。

あてになるのは、実際の購入履歴などの行動だ。かと言って、本人がそう自認しないこともある。たとえば、歌謡曲のCDをサジェスト、リコメンドしても、母は買わないだろう。
「わたしはそんなもの好きじゃない」と思うからだ。

もしかしたら、そう言う母のCDラックには既に入っているかもしれない。(「もう持っている」) そんな時、人は苦い顔をするのだ。そして、そんなサジェストをしてきたサービスを、少し嫌いになるのだ。